紅掛空色のひとりごと
その日は出不精の夫が珍しくゴルフに誘われ、渋々家を空けた日だった。
「そろそろ帰ってくるかな」
時計の針は下へ傾き始めた。
伸ばした羽を、畳まなければいけない。
「あの空の色、なんて言うんだろう」
窓の向こうに広がる空は、青に淡い紅が滲んでいて、その微妙な色合いに心が少しだけ解けるような気がした。
声に出してつぶやいてみる。
返事はないけれど、それがむしろ心地よかった。
テーブルには、さっき切った林檎と熱い紅茶。
紅茶の表面に浮かぶ湯気を眺めていると、自分が自分に戻っていくような感覚がした。
指先でカップの縁をなぞりながら、彼女は小さな声で呟く。
「ひとりって・・・」
こんなに楽だったんだっけ。
結婚してからというもの、自分の気持ちを話すことさえ、だんだんと重たく感じるようになっていた。
話しても分かってもらえないなら、いっそ言わないほうが楽だと思った。
でもその分、自分の中に溢れ出しそうなくらい、たくさんの言葉を溜め込んでいたことに気がつく。
窓の外では、鳥たちが紅掛空色の空を背景に行き交う。
その羽ばたきを追いながら、彼女は静かに息を吐いた。
「何も足さず、引かず、そのままでいい」
そのひとりごとは、小さな解放のようだった。
少なくとも今この瞬間、彼女はただ、自分自身でいられる。
誰に気を遣うこともなく、誰の期待に応える必要もない。
ただ、目の前の紅掛空色に染まる空を眺め、紅茶を飲む。
それだけで十分だった。
どれだけじっとしてたのか。
外がだんだんと暗くなり、紅が深い藍に溶け込む頃、彼女は立ち上がった。
カップを片付け、カーテンを引きながら、小さな声で最後のひとりごとを漏らした。
「今度は、この静けさをもっと大事にしよう」
その言葉が、自分自身への小さな約束のように感じられた。
紅掛空色の空の下で過ごした時間は短かったけれど、彼女にとってかけがえのない贈り物だった。